ぷすか

身体によいこと、運命によいこと、ちょっといいお話など

なぜか完璧にその件だけは思い通りにいってること

祈りが叶えられるということは、いつも日々、それの連続なのですが、

「そういえば」ということを思い出したので書いておきます。

 

いつか宅配サービスのパートのおばちゃんが玄関のドアを出た途端にいきなり

ブワーッと全開したのが、非常に不愉快だったのですけど、そのことで

「今後そういったプライバシーが守られるよう、無作法な人間が玄関のドアに

触れないように」などといった祈りを作成して祈っていたのですが、その祈りの

文章を書いたものが以前のPCの中にあり、PCが壊れてしまってそのままその

ことは忘れていたのです。

 

それから、そういえばそんな人間は現れないし、(まぁ、あんまりああいう

無作法な人はいないですが)同じ階に住んでる人とか、私が玄関を開け閉め

するとき、立ち止まって待ってくれたりするんですよね。

 

その無作法な宅配のパートのおばちゃんと、同じ階の住人は全く別人だし、

マナーを心得てない人と心得てる人が世の中にはいるんでしょうけど、なんと

いうのか、なんとなくそういうシーンを見る機会(配慮してくれる人の態度)が

多いな、と生活してて感じるようになりました。

 

無作法な宅配のパートのおばちゃんは二度とここには来ないし、(こっちが

頼まないので)その人が来ないっていうだけじゃなく、近隣の人のマナーが

よいというのはありがたいですね。実際、日々快適に暮らせるし。

 

あと、「なぜかこの件に関しては完璧に思い通りになってる」ってことが

あって、それは「嫌な人が私の前から消える」ということです。

 

これはジーザスを受け入れる前からだったんですけど、隣の部屋の騒音男や

隣の部屋のいつもヒステリーみたいな声を出してる気持ちの悪いおじさん、

二人とも(私の部屋の両隣のそれぞれの住人)が、あっけなく、ほぼ同時の

時期に出て行ったり、隣の棟のいつも睨みつけてくるイヤーなカンジの老夫婦が

いたのですがその人達も引っ越して行きました。

 

そして違う棟に住んでいた、近寄ってきては意地悪を言ったり人をバカに

するようなものの言い方の女の人も出て行ったし、私をカモみたいに

ターゲットにしてまとわりついてきて物を売りつけてきたり愚痴を延々と

1時間くらい言い続ける鬱病の困ったおばさんも出て行きました。

 

あと、セクハラする気持ち悪い管理人も、遠くへ引っ越しました。

 

いやぁ~ホント、住みやすくなりましたね。静かで平安です。

 

ジーザスを受け入れる前は、この困ったことに対して言霊など言ったり

してました。

あとはイメージワークしたりとか。

 

けど、こういうのはドリーン・バーチューが言う、「神無しの断言」になるって

いうことでしょう。

 

あるサイトにあった言葉。

『祈りなしで動いていることは、神様が計画なさったことではない』

 

なんでもまず神に祈りを捧げなくてはね。

 

 ダン・デュバル氏のウエブサイトの朝の祈りの中に環境などのことも入ってるナ。。

この祈りは毎朝しています。