ぷすか

身体によいこと、運命によいこと、ちょっといいお話など

怒りを通して神を礼拝する 

昨日の2食目は冷凍ギョーザを焼いたんですけど、焼きが足りなくて

生煮えのようだったのが今日になっても残念ですw

 

今日は玉ねぎと白菜をニンニクで炒めてカレーを作りました。

すっごくアッサリしててやさしいカンジ。

 

2食目はネギ焼きにしようと、ゆうべから考えていましたw

 

寝る前はお腹がさすがに減っててアレコレ食べ物のことばかりを

考えてよけいに眠れなくなるのですが、目が覚めてからはあまり

食欲がすぐには湧かないんですよね。

 

一日2食家(?)の私にとっては丁度良い時間にお腹が空いてきて

よいかんじです。

 

嫌なことを思い出すことに悩んでいたんですが、これってどうやら

悪霊というものの仕業なんだなと、改めて思いました。

 

もともとそういう性格だったのでそれが当たり前だとか思ってたんですけど

クリスチャンになっていろいろとお話を聞いたりしてるうちにどうやら違うゾ

と思ってきました。

 

嫌なことにも感謝して、それを感謝と共に神に捧げると、神がすべての

ことを益に変えてくれるというお話を本で読んだんですけど、その時は

感銘を受けて実行したりしたのですが、またすぐに感情に巻き込まれて

グルグルと悪い思考や感情が頭を回ったりしてきます。

 

でも、その都度「この感情をイエスの名によって主に捧げます」と言って

たんですけど、まー、ホント、なかなか同じことが思いめぐらされるのです。

 

毎朝祈るのですが、いろいろ自分で文章を変えたり、御言葉を引用して

日々、ピンときたものをとりいれているのですけど、「主の祝福、平安、

よろこびから行動できますように」といった祈りを入れて祈り始めてから

なんだか前のようではなくなったのです。

 

「アレ、そういえば悪いこと考えてないナ」と気が付いたり、ゆうべなんか

なんだか幸せで「なんでこんなに幸せなんだろう」とか思っちゃって。

 

この、怒りや憎しみ、悲しみ、悪いことなんかも、主への捧げものとして

感謝して祈る時に、神がそれを取り扱ってくださって癒してくださるんだナと

ハッキリ分かるモトイさんの説明に感謝します。

 

「天国にはないもの」で神に礼拝できるという特権に感謝します。

 


「天国に無いもので戦う」イザヤ書65章19節から25節